第四話

『ジャック、起きて。ねえ、ジャック・・・』

目を閉じた少佐の顔のアップ。

妻の呼ぶ声が聞こえて、彼は、まぶたが痙攣している。

『そうか、帰れたんだな。クロオは、あいつは、どうしたんだろう?』

少佐は安心して、ゆっくりと目をあける。すると80歳の老人と、若い男が、目覚めた彼を、のぞきこんでいる。そこは、禅寺の本堂であった。


『Sh!t.』

少佐が、力なくつぶやく。

老師が『ジャ~ック』と、猫なで声で呼びかけていたのだ。

少佐の所持品からGHQのIDを見つけて、名前を知ったらしい。

彼は、動けない。太い柱に厳重に縛りつけられている。

静かな夜。鈴虫の声。

老師と黒龍の他に、もう1人。特別に、英語を話す男が、通訳で呼ばれていた。

その男が、少佐に言う。『きみは、進駐軍なんだね。所持品を見せてもらって確認したけど、まあまあ偉いんだね。少佐殿。
これは困ったことになったよ。きみを、帰せない。』

少佐を殴りつけた黒龍は、明らかに殺気を隠そうとしない。まだぶっとい棒を、握り締めている。

後ろから殴られて失神したせいで、事情をやや理解できていない少佐。

まだ意識がぼんやりしている白人の顔に、盲目の老師が顔を近づけてきた。老師は、少しは見えているようで、少佐の顔立ちを確認しているのだろうか。

その様子を、障子の隙間から盗み見ている大きな黒い瞳がある。いましがた、寺に忍び込んできたクロオである。もちろん、少佐を救出に来たわけだが・・・。様子を伺っている。

少佐は、ぼんやりと、まえに並べられた所持品を目で追ってゆく。気絶するほど殴打されたせいで、まだ虚ろな碧眼。ゆらゆら泳いでゆく目線。

GHQのIDカード、コルト、帽子、ナイフ、手帳、シガレットケース・・。

そのとき、碧眼の視線が止まった。探していたものがあったのだ。殴られたときのことを思い出しながら、シガレットケースを見つめる。

少佐の視線が止まったのに気がついた、通訳の男。彼は、シガレットケースを取り上げた。そして、ケースを開ける。

『煙草か。ん?』

何かを見つけて、少佐に尋ねる。

『What is this?』

シガレットケースの中には、煙草の他に、小さな赤くて黒みがかった玉状のものが、2つ入っていた。

『自決用のメディスンだ。俺は、アーミーだから。』

少佐は、すぐに説明した。軍人だから、死の覚悟は常にあるということを。

通訳の男は、少し笑ったようにも見えたが、すぐ少佐の言葉を日本語に訳した。

『自殺用の薬。』

そして真面目な顔で、その薬を老師に手渡した。それをうけとった老師は、静かに言った。

『少佐殿。これをあなたが飲まなけりゃあ、ワシが飲むことになろう。わかるな?』

通訳されると、少佐は困り顔。それを察して、また老師は言う。

『うちのものが、進駐軍に暴行を加えたとあれば、この寺はただではすまん。寺を護るものとして、この命をマッカサー元帥にさしだそう。』

マッカサー元帥の名が出たとき、少佐の顔色が変わる。

通訳の男が、老師は政界にもコネクションを持つことをつけ加えて、少佐に訳して聞かせる。

少佐の額を、汗が流れる。

黒龍は、いつでも少佐を叩き殺してやるといわんばかりで、鐘つき棒をつかんでいる。ただ、老師がそれを絶対に許さないようだ。

異様な緊張感が張りつめていた。

隠れてみているクロオも、息を飲む。

少佐の殴られた頭も、だんだんハッキリ意識を取り戻してきていた。

『この国は、戦争に無条件で負けたのじゃ。みな、覚悟はできておるっ。』

老師はそう言うと、薬をすべて口に入れ、ガリガリと噛み砕いた。

『Noooooo!!!』、少佐が叫び声をあげる。

黒龍が落とした棒が、鈍い音を立てて床に転がる。

通訳の男は、下を向いて、膝の上で両拳を強く握りしめた。

老師は、ひとしきり噛みくだくと、合掌。そのまま、卒倒した。素早く、黒龍の大きな体が動き、小さな老体を抱きとめる。

『老師っ!しっかりしてください。』

老師がぐったりと頭をたれている横で、口を抑え震えている通訳の男。

黒龍は大声で泣き、老師を抱きしめていたが、すぐに少佐に向き直って睨みつけた。

『許さっ・・。あっ!』

驚きの声を上げる黒龍。

視線の先には、なんと逃げる少佐とクロオの後ろ姿。ここぞと隙をついて、隠れていたクロオが、ナイフで縄を切ってしまった。

『逃がしてなるものかっ。老師の仇いいい。』

狂ったように走り出した黒龍。

しかしすぐさま、黒龍の性根玉を後ろからふん捕まえる大きな声が、寺の本堂にひびく。

『馬っ鹿者おおおおおおん。』

聞き覚えのある怒声。動けなくなる黒龍。

声は、外にまで響き渡り、鈴虫たちがいっせいに鳴くのをやめる。静寂。

泣きじゃくりながら振り返る黒龍。みると老師は、通訳の男に助け起こされて、すでに薬を吐き出していた。

『キヨハルは、食えぬものをワシに渡さん。』

キヨハルとは、老師に呼ばれた通訳の男。老師に口を拭う紙を渡しながら、彼は言う。

『老師の演技が、少し大根でしたがね。笑いをこらえるのが大変でしたよ。』

老師は、ご機嫌である。 『そうか。口直しに呑むから、付き合え。』

目を点にして、うろたえる黒龍。 『ろ、ろうし・・・』

まだ事情が飲み込めないでいる黒龍に、キヨハルが、説明する。

『老師が飲んだのは、オピウムだよ。口に入れても、死ぬことはない。』

白隠様の像。心なしか微笑んでおられようで、『うむ、何かは知らなんだ。これは、けっこうな効き目じゃ。』 と、老師も笑っている。

キヨハルは、あんなにガリガリ噛むからですよと老師にやさしく応え、黒龍に説明を続ける。

『あのアメリカ人は、アーミー上がりのGHQ高官。戦場で恐怖や不安をとるのにオピウム使い続けて、癖になったんじゃあないかな。
ただ、戦争が終わってもオピウムが手放せない。あのアメリカ人が嘘をついたのは、そこを知られたくないからさ。
麻薬中毒だから隠すのはもちろんのことだけど、GHQ高官のスキャンダルにされるとキツいだろう。
彼は戦争が終わっても、国策の最前線にいて、敵はソ連だけでなく、GHQやアメリカ国内にもいるんだろう。』

キヨハルは、職業軍人として生きる少佐に同情をしめし、さらに続ける。

『それでも、自決用の薬だなんて、下手な嘘。老師は、その嘘を逆手にとったというわけさ。
毒じゃないから、飲めばオピウムだとバレる。老師の体当たりのおかげで、我々はあの男たちを止めおく必要が無くなった。ささ。』

若い黒龍は、まだポカーンとしていたが、酒の用意を申しつけられて、先に庫裡へ。

老師も男に支えられ、本堂を出ていく。

オピウム。阿片のことである。
大規模に栽培し売るものに、莫大な金をもたらした。様々な職業の人、その家族が、一攫千金を夢見て日本から大陸に入植した。そう遠くない時代の話である。
日本から渡ってきた人は、他の外国人と同じように、企業にケシを栽培させ、阿片を取引し、戦費をまかない蓄財した。もちろん阿片だけではないが、その植物は、満州国だけでなく、世界戦争を動かした。

本堂と庫裡をわたる廊下、老師とキヨハルが話している。

『仕返しには、来ないでしょうね。恨まれなければ、いいのですが・・・』。キヨハルは、心配してみせる。

『あの軍人、ジャックといったかの。こんど坐りにくるように、言っておけ。
おまえ、東京では会うこともあるじゃろう。』

老師がそう言って笑う。

すると、頭を下げ恐縮するキヨハル。彼は、覚えていた。

1年ほど前に日本橋室町で、少佐(ジャック)に会ったことがある。夜の社交場、ライカビルのサロン。

キューバの葉巻、酒は危険な密造ではなく酒造/メーカーの有名な上等品。芸能人や政治家が来るセレブ御用達の場所だ。

GHQ高官と右翼の大物、右から左まで、閣僚や政治家がなかよく呑みにくる。トップオブ政財界人が集うが、朝鮮や中国人の活動家も来る。

大物女優から、外国の軍人たち。金になる情報があつまり、スパイやヒットマン、セクシーに着飾ったローズ。

多様な業界から、人が集まってきていた。そしてみな反共を肴に、仲良く呑んでいる。

連合軍のソ連人が来たのは記憶にないが、右から左まで占領下の東京の偏ったVIP人脈が、そこにあった。

そのサロンは貿易会社が経営していて、キヨハルと少佐は、入手困難なJOHNY WALKERを一緒に飲んだ。

少佐は年下で、友だち思いの気のいいやつ。そんな印象だった。

少佐とキヨハルのつながりを見破った老師。

『まるで見ているかのようですね・・・。』と、キヨハルは言いかけてやめた。

盲目でいて、お見通しなのである。